発言するからには責任がある

SNSの普及などで誰もが気軽に情報発信できる時代となり、ネット上には批判や批評が溢れています。

批判や批評は、人間誰しもしたくなるものです。
しかし、それを一方的に聞かされると、あまり気分が良いものではなかったりします。

身内同士で楽しく話していたり、洒落の効いた短いものであれば良いのですが、ずっと持論を一方的に話されたり、好き嫌いの話だったりすると聞いていてつらくなったりしないでしょうか。
ほら、テレビを見ていて自分の好きなタレントのことを「なんだこいつは」とか「どこがいいのかわからない」などと言われて嫌な気分になった…という経験をお持ちの方も多いと思いますが、まさにそのようなものなのです。

では、なぜ批判や批評は、聞いていてそういう気持ちになってしまうのか…

それは、たいていの場合、批判や批評には、それを言っている人に当事者意識というものがないからです。
当事者意識がないということは、ある意味無責任と捉えることができます。

言い放し
相手の気持ちを考えない
自分の好き嫌いだけ
結果的に自慢話? ‥‥などなど

そこには、解決・改善するために自分はどうする

といった話はほとんど出てこないことが多かったりします。

しかし、発言や発信することには、それを発する人に責任がついて回るのです。
当事者意識を持ち、ではどうするのか…という自らが動く覚悟が必要なのです。

直接的なコミュニケーションにおいては、互いに顔が見えこちらの意見が言えるので、そうしたことを当人に伝えることもできます。
しかし、ネット上やテレビなどでは、互いの顔が見えるわけではなく、その場で意見交換ができるわけではないため、受け手からすると内容によっては、無責任さを強く感じてしまうのだと言えるでしょう。

そして、ネットの普及により、コミュニケーションの手段が多様化し、容易に意見が発信できるようになることにより、こうした人の気持ちを考えられていないコミュニケーションが気づかないうちに増えてきているのではないでしょうか。

発信するからには責任がある。

そのことを一人一人が認識する。

それだけでも知らず知らずに起こる人間関係の違和感を減らすことができるのではないでしょうか。

そして、働くということにおいても、そうしたことに気づいて組織マネジメントをしていけば、働きやすい職場風土を作っていくことができるといえるでしょう。

私も「発言するからには責任がある」…このことを改めて肝に銘じたいと思います。
まずは、このブログの発言から責任を…(^_^;)

ご縁に感謝!
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。