類は友を呼ぶ

今日も訪問頂きありがとうございます。

さて、昨晩は、今年ある人の紹介でお友達になった方と会って会食をしました。その方とは、趣味(お城好き)が同じでいろいろと話が合い、定期的にお会いしています。昨日も楽しく会話が弾んで、気がつくと4時間近く経っていました(^^;)
今週末も横浜で開催される「お城EXPO」にご一緒する予定なので楽しみです(^^)
まさにご縁というか、気の合う友という感じです。

で、友というと、似たような意味を表す言葉として「類は友を呼ぶ」ということわざがあります。
ということで、今日は、この「類は友に呼ぶ」ということについて、少しお話をしてみたいと思います。

類は友を呼ぶの意味

「類は友を呼ぶ」・・・よく知られたことわざですのでご存知の方も多いと思いますが、その意味するところって、意外と人によってまちまちだったりしないでしょうか。

多くの場合が、気の合う人や似通った者同士は、自然と集まって仲間を作るという意味でとらえていらっしゃると思います。しかし、一方でこの「類は友を呼ぶ」という言葉は、あまり良いイメージで使われないというところもあったりします。気の合う仲間が集まっているなんて、何だかとても楽しそうでおもしろそうなのに・・・です。
どうしてなのか?・・・その理由としてですが、私は「類は友を呼ぶ」には、次のような意味も含まれているからではないかと思っています。

それは・・・今のレベルや程度にお似合いの人が近寄ってくる・・・という意味です。

自分が志を持つ

これをふまえて、職場という場面に当てはめて考えてみると、志が高くレベルやスキルも高い場合は良いのでしょうが、「作業レベルで仕事をしている」「利己的…ましてやリーダーが…」などといった場合には、おのずと類は友を呼んでしまうということが起きやすくなったりしないでしょうか・・・
その結果、常に何かモヤモヤしながらも本質的な問題に気づかずに改善が進まない。そして、「本質的な問題提起をする人」「レベルやスキルが高く志の高い人」のことを理解できずに排除する方向に組織として流れていったりする。こういう危険性があるように思います。
で、こうした状況を客観的に見ている人たちなどからは、「やっぱり類は友を呼ぶだよね」って、ネガティブなイメージの表現に使われるという構図が生まれるのだろうと推察したりするわけです。

そして、こう考えていくと「類は友を呼ぶ」を、自分にとってネガティブではなくポジティブなものにしていくためには、まず自分自身が志を持つこと、このことが大切なのではないかと思うのです。
志を持てば、志の高い人たちが集まってくるといえるでしょう。そして、そういう環境にいて、そういう人たちと付き合っていくと、自分のレベルやスキルも高くなっていく・・・ということが起きてきます。実際、私も人事コンサルタントとして「働く人も会社も元気にして、生き活きとした職場、良い組織風土の会社を増やしていくことでお役に立ちたい」という志を固めて、そのための活動を始めてから、ほんとうに志の高い、ポジティブな方々との出会いが、また、過去の知り合いで疎遠になっていたけれどレベルの高方々との再会が、次々と起きていてポジティブな「類は友を呼ぶ」を実感しています。そして、それは上述した友のように、仕事だけでなく、自分の人生を豊かにしてくれる出会いやご縁も増えるということでもあるのです。

それともう一つ、感じていることがあります。それは、「自分にとってポジティブでないものには固執しない」ということです。このことも大切だと実感しています。
なぜならば、そうしたものに固執するということは、ネガティブな「類は友を呼ぶ」に他ならないと言えるからです。
自らご縁を切る必要はありませんが、ポジティブでない類から、「友」にならないからということで、誹謗中傷されたり、嫌われたりしたとしても、自分自身に志があり私心がないのであれば、そこに固執しない・・・このことが、結果的にポジティブな「類は友を呼ぶ」を呼ぶことになるのだと思います。
ぜひポジティブな「類は友を呼ぶ」の中にいれるようにしたいものですね。

ご縁に感謝!
今日も読んで頂きありがとうございました。