ハラスメント防止は組織として取り組む問題

ハラスメントの知名度と認識のギャップ

ハラスメント・・・

今や市民権を得たと思われる言葉ですが、その意味を正しく理解している人はどれくらいいらっしゃるだろう。

ひと言に「ハラスメント」と言っても、その種類は、「セクシャルハラスメント(セクハラ)」「パワーハラスメント(パワハラ)」「マタニティハラスメント(マタハラ)」「アカデミックハラスメント(アカハラ)」「終われハラスメント(オワハラ)」・・・などたくさんあります。また、「マタハラ」や「オワハラ」に代表されるように、ここ数年で次々と新しいハラスメントが生まれてもいます。そして、その中のいくつかは、マスコミに取り上げられるなどして大きな話題になっています。そういう意味では、「ハラスメント」という言葉は市民権を得、「ハラスメントは良くないことである」という認識が浸透していると考えて良いでしょう。

ただ、そうだとすれば、世の中からハラスメントが減ってきても良さそうに思うのですが、職場や学校・・・などにおいて、ハラスメントが減ったという話は聞きません。むしろ、ニュースなどを見たり、先に書いたように新たなハラスメントが生まれているという現実から推察されるのは、減るどころか増加している可能性が高いということでしょう。
おそらく、ハラスメントの加害者の多くは、「ハラスメントは良くないことである」という認識を持っているはずなのに・・・です。

私がこれまで長年人事で労務対応をしてきた経験でも、ハラスメントという問題が起きた時に、加害者とされた人たちの多くは、「そんなつもりじゃなかった」という反応をされます。また、ハラスメントの被害者から相談を受けた上司や会社が、誤った認識で対応することによる「セカンドハラスメント(セカハラ)」という問題を起こしてしまう事例もあり、実態としては、会社も働く人も意外と正しい認識を持っていないという問題があったりするのです。

そこで、今回は、職場におけるハラスメントという問題について整理し、考えてみたいと思います。

ハラスメントとは

ハラスメントは何の問題なのか

まず、「ハラスメントとはどういう意味なのか」ですが・・・
ハラスメントの意味は、「悩ます」「嫌がらせ」ということです。

ここで認識しておきたいのは、この「悩ます」「嫌がらせ」ということは、ハラスメントを受けた側が感じることですが、一人では起きない・・・つまり、他の誰かによって悩まされたり、嫌がらせをされたりしている状況で、自分以外の人の意思や言動が関わっているのだということです。自分以外の誰かによって、自分の望まない嫌なことや苦しむことをされるわけです。

これだけを考えても問題であると気づくと思いますが、職場や仕事の場においては、「ハラスメントは良くないこと」だと思っていたとしても、相手に対し悩ましたり嫌がることを、そうするつもりがなくてもしてしまっているということがあったりするのです。では、そうならないためにどうすれば良いのか・・・そうならないために気をつけなければならないことの一つとして、仕事という場における「嫌なこと」や「苦しむこと」ということについて勘違いしないということがあります。

私たちは、仕事を覚えたり、仕事の技術や知識・スキルを磨いていく段階において、嫌なことや苦しいことがあるのはやむを得ないこと、そしてそれを乗り越えなければ一人前になれないと思っているところがあります。そのように「仕事には嫌なことや苦しいことがあるのはやむを得ないこと」という認識を強く持っている人が、職場や自分の関わる仕事というフィルターを通した時に、仕事の相手や部下に対し、必要以上に厳しく対応したり、きつい労働を強いたり、個々の事情を考えずに画一的な仕事の仕方を求めすぎたりということをしてしまう可能性があるのです。こうなった時に、「そんなつもりじゃなかった」「相手のために」と、行為をする側が思っていたとしても、結果的にハラスメントという不幸なことになってしまう危険性が出てくるのです。
確かに、仕事において厳しいことやきついことを乗り越えていくことで成長や成果を出せることもありますが、そうしたことによる苦しみは、あくまでも仕事そのものによって出てくるものであり、他の誰かによって苦しまされたり、悩まされたり、嫌がらせをされたりして感じるものであってはならないはずなのです。しかし、仕事や指導に熱心な人ほど、仕事で嫌なこと、苦しいことがあって当然と思い、その嫌なことや苦しいことを自らが相手に科してしまうということをしてしまったりするのです。
だから、仕事で嫌なこと、苦しいことがあるという意味をはき違えないようにする必要があるのです。

私たち人間には、皆、等しく生きていくうえで守られるべき権利があります。いわゆる「人権」というものです。
基本的人権は、日本国憲法において保障されています。
日本国憲法では、第11条から第14条まで人権について書かれており、第13条では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定められています。

これをふまえると、ハラスメントをするということは、この第13条に反してしまうことになると言っても過言ではないでしょう。

つまり、ハラスメントとは、人権問題であるのです。

だから、どのような理由があろうとハラスメントは許されないことであると言えるのです。

そして、こうした人権問題であるという前提で考えていくと、万が一ハラスメントということが、職場やビジネスの場で起きてしまった場合、何よりも優先されるべきは、ハラスメントを受けた人(被害者)の保護であり、気持ちや意向であることは明白でしょう。よくあるのは、「それは大変だ」ということが優先され、被害者が、「怖いし、どうしてほしいかわからない」など迷っている段階なのに、 会社や上司が何らかの対応してしまうことです。こうしたことは「セカンドハラスメント(セカハラ)」と言われており、良かれと思って対応したことが、さらに被害者を精神的に傷つけ追い込んでしまうことなってしまうという不幸な結果を生んでしまうのです。
ですので、ハラスメントが起きてしまった場合は、被害者の保護を第一に考え、被害者の意に添わない、あるいは 被害者が不利益を被ることのないように配慮する必要があることも覚えておくべきでしょう。
こうしたことも、ハラスメントは人権問題であるという観点で考えれば、納得して頂けることではないかと思います。

ここまでハラスメントとはどういうことなのかについて確認してきました。では、それをふまえたうえで、次章から、いろいろと種類のあるハラスメントの中でも代表的なハラスメントについて確認していきたいと思います。

セクシャルハラスメント

ハラスメントといえば、真っ先に思い浮かぶのが、このセクシャルハラスメント(以下セクハラ)ではないでしょうか。

セクハラという言葉が世間一般に知られるようになったのは、1989年(平成元年)にそれまで欧米では問題となっていたセクハラに関する裁判が日本でも行われニュースになったことによります。ちなみに「セクシャルハラスメント」という言葉は、その年の新語・流行語大賞にも選ばれています。

さて、ではセクハラの定義はどうなっているのか・・・セクハラの定義は、「 性的(セクシュアル)なことに関し、相手の意思に反した言動によって不快や不安な状態に追いこむこと」とされています。

ここで重要なのは、セクシュアルな言動があり、相手が不快や不安に感じたら、加害者(といわれる)側が「そんなつもりではなかった」と言っても、セクハラになってしまうということです。つまり、セクシャルな言動があったことが前提ですが、もしそうしたものがあったと認められる場合、受け手がどう感じたかが全てであるということになります。

そして、誤解や齟齬が生じやすいのは、このセクシャルというものが、個人個人で捉え方が異なるうえに、実際には意外と範囲が広いということにあります。

「セクシャル=性的な」と言った時、ある人は、性的関係、ボディータッチ、猥談ということを想像します。確かに、それは代表的なものとして該当するのですが、セクハラに該当する可能性のあるセクシャルなことには、「髪型や服装などファッションや容姿に関する話題」「食事や飲み会に誘う」「飲み会でお酌やデュエットをさせる」「恋愛話などの噂流す」・・・など、ほんとうに多岐にわたるのです。中には、部下の結婚を心配してお見合いなどを薦めるなどといった、昔はよくあったことですら、捉え方によっては、セクシャルな問題となってしまうケースもあったりするのです。ですので、結婚や出産といったことも含めて性につながると思われる言動には十分に注意が必要です。ポイントとしては、男性、女性といったことに関するプライベートに、仕事の場や職場では深く入り込まない、このことが肝要だと言えるでしょう。

また、セクハラというと、男性から女性、特に男性上司から女性の部下にというイメージを持ちがちですが、上述したセクハラの定義に該当することであれば、女性から男性、部下から上司ということもあり得ます。また、男性から男性、女性から女性といった同性間でもセクハラは起きえます。ですので、同性だから大丈夫とか、部下だから上司に対しては大丈夫などということはなく、職場における全ての人間関係において起きうる可能性があるということを認識する必要があるのです。
ちなみにここでいう職場とは、自社内だけでなく、例えば、取引先の事務所、取引先と打合せをするための飲食店、顧客の自宅・・・なども含まれます。とうことは、社内だけでなく、社外の人間でも仕事上の人間関係においてはセクハラが発生する可能性があるということになります。このことも勘違いのないようしっかりと認識しておくべきことでしょう。

次にセクハラの型について確認しておきましょう。セクハラには、代表的なものとして以下の2つの型があるとされています。

●対価型セクシャルハラスメント
職務上の地位を利用して性的な関係を強要し、それを拒否した人に対し減給、降格などの不利益を負わせる行為
・人事考課や雇用を条件に性的関係を求める
・性的言動に抗議した者を配置転換したり、降格したりする
・個人的な性的好みで待遇に差をつける・・・etc.

●環境型セクシャルハラスメント
性的な関係は要求しないものの、職場内での性的な言動により、働く人たちを不快にさせ、職場環境を損なう行為
・職場にヌードや水着のカレンダーやポスターを貼ったり、職場のパソコンの壁紙にする
・休憩時間に卑猥な話をしたり、恋愛経験を聞いたりする
・私用メールを執拗に送る・・・etc.

セクハラの種類は大別すると上記の2つになりますが、最近では、SNSを業務に利用することも増えていること、女性管理職の増加など、職場環境もいろいろと変化しており、以前に比べて型にはまらないものも出てきています。そういう意味では、型は型として覚えておく必要はありますが、まずは上述したセクハラの定義とセクハラは受け手が不快に思ったら原則としてNGということをしっかりと認識したうえで、職場をはじめとしたビジネスの場における言動をするようにする必要があるでしょう。

そして、仕事に関係のない、あるいは業務遂行上必要のない、セクシャルな言動は、例え冗談や場を和ませる、あるいはコミュニケーションの一環・・・などといったつもりでも、しない、させない、このことが重要であると言えるでしょう。
そうした話題ができないと堅苦しいとか、親しくなった証なので気にすることはないなどというようなことをおっしゃる方もたまにいらっしゃるのですが、そうした話題をしないとコミュニケーションがうまくいかないと考えていること自体が問題であると認識を改めるべきと言えるでしょう。
そうした話題をしなければコミュニケーションが図れないということは、コミュニケーション力が低いと言われても仕方ないことと自覚しましょう。

パワーハラスメント

パワーハラスメントとは、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」<厚生労働省ホームページより>のことです。

パワーハラスメント(以下パワハラ)という言葉ですが、実は和製英語で、日本で創られた言葉であり定義です。2001年にクレオ・シー・キューブ代表取締役の岡田康子さんが初めてお使いになったのが最初です。以来、パワハラという言葉は、セクハラの次に有名と言えるくらい認識が高まりました。ということは、見方を変えれば、「パワハラではないか」と思うことが職場で多くあると言えるのかもしれません。

さて、そのパワハラですが、厚生労働省が6つの類型に整理しています。

なお、この類型は一つの目安となりますので、ここに書かれているものが全てではないということでご留意ください。

さて、パワハラに該当するかどうかの判断基準についてですが、上述した セクハラのようにセクシャルな事象があって受け手が「嫌」とか不快に思ったらハラスメントになるのと同じように、受け手が「嫌」とか不快に思ったら即該当するかというと、そういうわけではありません。
パワハラの場合は、優位性=力(パワー)の関係性があり、受け手が「嫌」とか不快に思ったとしても、「業務の適正な範囲内であれば」パワハラにならないとされています。
実際に、労務相談窓口に寄せられるパワハラの訴えのうち、かなりの割合で「パワハラには該当しない」と判断されています。

どうしてこういうことになるのかというと、パワハラの場合、業務の適正な範囲の注意や叱責などは、指導として認めていかなければ、事業や業務の遂行上支障が出るからです。ですので、パワハラの問題が起きた場合には、受け手の気持ちや感情を考慮しますが、その一方で、それまでの経緯やその時の状況も確認して、総合的に判断する必要があるわけです。
例えば、厳しい叱責があったとしても、パワハラを受けたと訴えている社員が、指示や指導に従わず同じミスやトラブルを繰り返している、工事現場など危険な場所でルールを無視して、ヘルメットや命綱を着けていない者に「バカヤロー死にたいのか!」と言ったなどの場合、すぐさま全てがパワハラとなるわけではないのです。

では、 パワハラをしない、させないために、どういう点に気をつければ良いのかですが、それは、上述したハラスメントは何の問題なのかを思い出して頂くのが一番わかりやすいと言えます。つまり、ハラスメントは「人権問題」ということです。

ですので、相手の人格や尊厳、仕事に関係のない生い立ちや学歴、趣味などといったプライバシーに触れることは言わない。このことが肝要であると言えるでしょう。
特にすぐに熱くなりやすい人、感情的になりやすい人などは、ついついこうした言わなくても済むことを指導や注意をする時に口にしてしまいやすいので、気をつけたほうが良いでしょう。

また、パワハラについても、上司が部下に対して行うものという印象を持ちがちですが、セクハラと同様に全ての人間関係で起きうるものです。
例えば、「パソコンがうまく使えない上司に対し、パソコンスキルのある部下が意図的に放置する」「職場の1人に対し、同僚が結託して情報共有しない」などといったいわゆる嫌がらせ、こうしたものも職場や仕事の場で起きるとパワハラとされる可能性があります。意外とやってしまいがちなことですので、パワハラについて正しい認識を持ち、気をつける必要があるでしょう。

マタニティハラスメント

最近、何かと話題にあがり、問題とされているのが、このマタニティハラスメント(以下マタハラ)。
改めて説明する必要もないかもしれませんが、「妊娠、出産、育児を理由に不利益な取扱い」をマタハラと言います。また、厳密にはマタニティとは異なりますが、最近では、「介護」に関することを理由にした不利益な取扱いも一緒に問題であるとして対応を求められるようになっています。

さて、ここでいう不利益な取り扱いですが、どのようなものをいうのか・・・念のため確認しておきましょう。

【マタハラに該当する不利益な取り扱いの例】
妊娠や出産、育児や介護を理由として
●解雇や退職を勧められた
●契約更新されなかった
●降格や減給をされた
●通常あり得ないような配置転換をさせられた
●「この忙しいのに妊娠して・・・」とか「いつも早く帰るので迷惑」などという周囲の言動
●育児休業を取ろうとした男性社員に「男が育児休業取るなんて」と認めなかった・・・etc.

このようなことが、マタハラに該当してきます。
こうして見てきて頂いて気づかれた方もいらっしゃると思いますが、マタハラに関しては、セクハラやパワハラのように、ハラスメントを受けた側が不快や「嫌」と感じたかどうかで判断されるというよりも、不利益な取り扱いをすること自体が問題であるとされているわけです。

ですので、会社や組織として、マタハラに該当するような行為をしないようにする、このことが必要であると言えるでしょう。

主な対策としては、次のようなものが考えられるでしょう。

●就業規則などの規程を整備する
●管理職への教育
●従業員への周知や教育
●人事制度の整備
●相談窓口の設置  ・・・etc.

また、来年平成29年1月1日より、マタハラを防止する対策が事業主に義務付けされます。
弊所のホームページのトピックスでもご紹介していますのでご確認ください。

ハラスメントを防止するためには・・・

さて、ここまで代表的なハラスメントについて確認してきました。
読んで頂いてお気づきだと思いますが、ハラスメントかどうかを判断するという観点で見ていくと、それは、ハラスメントの種類によって必ずしも同じであるとは言えないわけです。そして、そのことが、「ハラスメントは良くないこと」とわかってはいるけれど、人によって異なった解釈をしてしまう要因の一つになっているのかもしれません。
しかし、ここで思い出して頂きたいのが、ハラスメントは何の問題なのか・・・ということ。
繰り返しになりますが、上述したように、ハラスメントは・・・「人権問題」なのです。
そう考えれば、判断基準がどうとかではなく、「人としてどうなのか」を基準に、相手が嫌がること、苦しむことをしない、このことが大切であると言えるはずです。仕事や業務上、言ったり、したりしなくてもよいことは、言ったり、したりしない、このことが肝要だと言えるでしょう。

そうすれば、少なくとも「こういうことを言うべきではない」とか「そうであれば、別の方法を考えよう」などという視点を持てたり、個々の事情や生活環境などを考慮した言動をすることができる可能性が高まり、「お互いさま」と互いに補い合う環境が醸成されることでしょう。

ただ、そうした時に気をつけなければならないことがあります。中でもパワハラやマタハラの問題が生じた時に起きやすいのですが、指導される側や妊娠・出産・育児、介護という事情を抱えている側が、「だから仕方ない」とか「当然」といった態度や言動をしないということです。実はこれ、労務対応をしていると意外と多いのです。「権利はわかるんだけど、あなたがそれ言ったらダメでしょ」というような権利主張が異常に強い人です。こうなると、職場の上司や同僚も、なかなか協力したいという気にならなくなって、ややこしいことになってしまったりするのです。
だから、指導される側や妊娠・出産・育児、介護という事情を抱えている側の人も、「人としてどうなのか」という基準を持つ、このことが必要なのだと言えます。少なくとも「感謝」の気持ちを持つ・・・これだけでも違うのではないでしょうか。

このように会社や職場で働く人全てが、「人としてどうなのか」という基準を共有し意識する、このことがハラスメントをしない、させない、起こさないための一つの方法だと言えるでしょう。

また、ここまで書いてきた「人としてどうなのか」という基準を職場に根付かせるうえでも大切なことになるのですが、もう一つ、ハラスメントを防止するうえで必要なことがあります。
それは、「信頼」「信頼関係」ということです。

一緒に働く人が信頼でき、相手も自分を信頼してくれているという信頼関係ができていれば、ハラスメントなど起きないであろうことは、容易に想像できるでしょう。

そして、ハラスメントを防止するうえで、一番肝となるのが、上司、あるいはリーダーが信頼されているということです。
そのことがわかる事例として、今年他界された演出家の蜷川幸雄さんのことがあります。

蜷川さんといえば、その演出の厳しさは有名でした。
罵声罵倒、灰皿を投げる…etc.、厳しいというより普通なら「大丈夫なの?」と思ってしまう激しさだったみたいです。
しかし、役者たちは、蜷川さんを愛し慕ってついていった・・・そのことは、ワイドショーなどで放映された告別式を見ても明らかでしょう。日本を代表する名立たる名優たちが、涙し蜷川さんとの別れを惜しんでいました。

こうした蜷川さんの演出家としての姿は、職場の指導者ということに当てはめて考えたとき、とても参考になることがあるのではないかと思います。
つまり、こういうことです。

蜷川さんの演出における言動は、今の時代、ハラスメントと言われても仕方ないといえるものがあります。しかし、そういう風にはならない。おそらく、その時は「この野郎」と役者たちも思うのだと思いますが、最終的には、むしろ感謝している。
ここに一つの示唆があると思うのです。

ハラスメントに関しては、これまでいろいろと確認してきましたが、細かい定義は置いておいて「相手がそれをどう受け止めるかによる」という側面があります。言い換えれば「誰が言ったか、誰がやったか」で、同じ言動でもハラスメントになったり、ならなかったりするということはあるということです。

そして、この違いは何によって起きるのかというと、それが「信頼」といえるのだと思います。

さて、ここで今一度蜷川さんの話に戻すと、演出家と役者・・・長年一緒にやってきた人もいるでしょうが、多くの場合初めて一緒に仕事をする人がほとんどではないでしょうか。そう考えると、初めて仕事をする時に、いきなり信頼を築くということはそう簡単ではないでしょう。でも、蜷川さんは、ほとんどの役者とそれが築けた。その理由は何なのか・・・
それは、蜷川さんの芝居に対する思いと情熱、それと「こいつを育てるんだ」という役者への愛情・・・こうしたものがきっとあったからなのではないでしょうか。
そのことは、蜷川さんが亡くなられてからいろいろと出てくる映像や一緒に仕事をした人たちのお話から伺えると思います。だから、改めて蜷川さんのことを想うとき、「指導者として大切なものを持っていらしたのだなぁ」と思うわけです。
蜷川さんを参考にして、罵声や灰皿をぶつけることは、お薦めしませんが、厳しさの中にも仕事に対する思いや情熱、部下への愛情、そして、そうしたものから得られる信頼・・・こうしたことを、上司やリーダーが、職場で発揮していくことができれば、多少厳しいことを言っても、そして、ちょっとばかりハラスメントに該当しそうな言動をしたとしても、すぐさま「ハラスメントだ。けしからん」ということにならないのではないでしょうか。
そのためにも「信頼されること」「信頼関係を築くこと」が大切であると言えるでしょう。そして、これを実現するためのポイントが「人としてどうなのか」という基軸だと言えるのです。

また、こうしたことを管理職にきちんと認識させ、職場で実践させるためには、人間力を磨くことを求め、そのための研修や普段からの意識付けを、会社や組織としてすすめていくこと、このことが重要であると言えます。

ヒューマシー人事労務研究所では、ハラスメント防止研修、管理職が人間力を磨くためのマネジメント研修などを提供しております。
ぜひお気軽にご相談ください。

<参考>ひょうご人権ジャーナル「きずな」にもハラスメント防止に関する記事を寄稿しています

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※本コラムは2018年4月20日に加筆して再掲しております